サバイブと貢献

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070121/p1

気がついたら放り込まれていたこの世の中で「サバイブすること」こそがとりあえず最初に大切で、「善く生きる」のはサバイブしてかなり余裕が出てからでいい、と僕はあえて言い切ってしまおうといつも思っている。そう言い切ることによって生まれる誤解についての責任は引き受けようとも思う。自分だって、後悔しつつもそう生きて来ざるを得なかったわけだし、平野さんが言うように「今の社会は、ノンキに関わって生きていこうとするためには、複雑になりすぎている」からだ。


基本的にはこの考え方には賛成だがやはり迷いはある。

ただ「巧みに生きるか、善く生きるか」を全く別の概念として切り分けて二分法的に考えないほうがいい。この二つはかなりの部分で重なり合ったものだからだ。ただ、ギリギリで優先度をつけなければならない局面では「巧みに生きて、サバイブするほうを最優先にすべきだ」と僕は思う。特に、まだ何者にもなれていない若いときには。


「「巧みに、うまく」生きているだけでは、結局のところ、満たされないんじゃないか」と思う段階をできるだけ早く持てれば、それは人生トータルで「善く生きる」ということになるのではないか。まじめな若い人ほど、そう少しいい加減に考えてでも、生きのびてほしい、と僕はいつも願う。


貢献することによってヒトは満たされる、ということは十分承知しているのだが、
その「善く生きる」という心理に達するまではたしてサバイブできるだろうか?